カンポン・トーンブンヌム
1955年、タイ・ナコンサワン県生まれ。1977年、アーントーン体育高等専門学校に体育教師として入職したが、2年後、水泳の模範演技中に事故に遭い全身不随に。その後、ルアンポー・カムキエン・スワンノー僧に師事し「気づきの瞑想」を修める。(アマゾンより)
カンポンさんは、24歳の時に水泳の授業中に脊髄を損傷し、首から下が完全麻痺になってしまいます。
その後、ヴィパッサナー瞑想を開始し精神的・肉体的苦しみを克服しました。
2016年に亡くなられています。
カンポンさんのことは書籍で知りました。
その時はこれほどすごい人がいることに感銘を受け、(肉体ではなく)心が人間の生き方を100%支配していることを思い知らされました。
残された命をどのように使っていくべきか。
人生の最期をどのような心の姿勢で臨むのか。
そんなことをカンポンさんの生き様から学びました。
カンポンさんはこのように言ってます。
私はとても幸福です。
こうして今日まで命を長らえさせていただくことができて。
気づきを失ったりしてはいけません。
これからも一瞬一瞬徳を積んでいきます。
気づきを保つことを怠らずにいることが大切です。
修行を続けていくことはとても大切なことです。
そして、ゆるぎないものとしていくこと。
スキルをどんどん高めていくことです。
私たちは輪廻の苦しみの中でよりよく見てみることです。
怠らずに気づきを保つことです。
そしてカンポンさんは「善き死」について以下のように語っています。
善き死とは、心のありようのことを言います。
心の準備が整っているかどうか。
善き死とは、心に苦しみがなく迎える死のことです。
このことが最も大切なことです。
そして、心がいろいろなものを手放していること。
心に引っかかることが何もないということです。
手放すというのは執着しない事です。
もし執着があれば、死に対してじたばたしてしまうでしょう。
準備ができていなければ、善き死を迎えることはできません。
どうして、私たちは「今ここ」を見ようとしないのでしょうか。
今ここから準備を始めることができるのです。
今ここにしっかりといることができれば、しっかりと死ぬことができます。
今ここにしっかりいるということは、今できることをしっかりとやることです。
そうすれば、心は軽くなっていきますよ。
そして、最も大切なことは「気づき」と「正見」です。
それを日々鍛えていくことです。
私たちが今をどう生きるかが、どう死ぬかを決めるのです。
今日与えられた一日をどう有益に使うか。
体に生じる苦しみや起こってくる思考。
最期の時には体に苦しみが生じるでしょう。
でもそれは少しも問題ではありません。
生じてくる思考も問題ではありません。
大事なのは気づきを高めておくこと。
生じることに気づきが間に合うようにしておくことです。
死は全ての命にとって偉大な体験です。
善き死を迎えられるかどうか。
それを試されていますよ。
カンポンさんの最期の言葉は、「悟りは唯の言葉。真実は苦しみがない」だったそうです。