Profile

榊原直樹、DC、DACBSP、PhD
ドクターオブカイロプラクティック(Doctor of Chiropractic)
医学博士(スポーツ医学)
スポーツカイロプラクティックドクター(DACBSP)
元岐阜大学大学院医学系研究科非常勤講師
1992年に東北大学を卒業後、すぐに渡米しました。翌年の1993年にロサンゼルスにあるカイロプラクティックの大学に入学し、そこでおよそ3年間学びます。
1997年に卒業した後、カイロプラクティックのナショナルボード(国家試験)に合格。1998年1月にカリフォルニア州のカイロプラクティックライセンスを取得することができました。
その後、2007年までロサンゼルスにてドクターオブカイロプラクティック(Doctor of Chiropractic)として患者さんを診ていました。
2007年に日本に帰国した後は名古屋にてカイロプラクティック院を開院し現在に至ります。

経歴

1986年 浅野高校卒業
1992年 東北大学卒業
1997年 クリーブランドカイロプラクティック大学卒業
1998年 カリフォルニア州ライセンス取得(Doctor of Chiropractic)
2006年 トリノ(イタリア)オリンピック帯同ドクター
2007年 スポーツカイロプラクティック学位取得(DACBSP)
2009年 ワールドゲームズ(台湾・高雄)帯同ドクター
2012年 世界パワーリフティング選手権大会帯同ドクター
2015年 医学博士取得(岐阜大学大学院医学系研究科・スポーツ医学)
2016年 岐阜大学大学院医学系研究科非常勤講師
2017年 日本スポーツ徒手医学協会設立

2006年トリノオリンピックのIDと公式シャツ

ボディビルとカイロプラクティック

日本の大学に入学と同時にボディビル部に入部しました。

当時はボディビルディングではなく、ウエイトトレーニングに興味があったからです(大学卒業後はボディビルにどっぷりつかっていきます)。

ウエイトトレーニングをやっている内にスポーツ医学に興味が移っていきます。

ちょうどその頃から「スポーツ医学を利用した仕事ができればいいな」と漠然と考えていました。

カイロプラクティックを知ったのは19歳の頃だったのですが、大学卒業の2年前に「とりあえず、アメリカに行ってみよう」と決意。

アメリカでトレーナーの国家資格(NATA)かドクターオブカイロプラクティックのどちらかを勉強しようと思いました。

当時はネットもなく(1992年頃です)、得られる情報は留学関係の書籍のみ。アメリカのトレーナー資格については少しありましたが、カイロプラクティックに関する情報は皆無でした。

よって、とりあえず現地に行ってから決めればOKと判断し、大学を卒業してすぐに渡米しました。

その後、紆余曲折があり、渡米の一年後にロサンゼルスのカイロプラクティック大学に入学。1997年に無事卒業し翌年にはカリフォルニア州のドクターオブカイロプラクティックライセンスも取得できました。

その後はロサンゼルスから車で1時間ほど南下したアーバインで診療に当たり、帰国直前はリトル東京でも診療していました。

今思えば、大学入学と同時に始めたボディビルがぼくの人生に大きく影響を与えています。

ボディビルを始めていなければ、カイロプラクティックとの出会いもなかったと思います。

2011年JPCマスターズ(緑のパンツが私です)

瞑想との出会い

初めて瞑想を体験したのは2000年でした。きっかけは当時の患者さんからのお勧めでした。

毎日12時間の瞑想を10日間ほど行ったのですが、「これは瞑想の本場インドへいかなければならない」と思い立ち、当時はまだアメリカで診療していましたが、すぐにインド(ムンバイ)までの往復チケットを購入しました。

インドには2000年12月13日から2001年3月13日までの3カ月滞在。その内の2か月ほど瞑想をやっていました。

今は朝晩に30分から1時間程度の瞑想を続けています。

ミャンマーでの活動について

ミャンマーへ最初に行ったのは2015年頃だったと思います。

最初は観光目的で行きました。その時知り合いにお願いしてヤンゴンの孤児院見学も行きました。

現在は年に2回ほどヤンゴンへ行き、孤児院での炊き出し、そして現地でカイロプラクティック診療も行っています。

カイロプラクティック診療は、ヤンゴンのNGO団体が運営する病院を借りて行っています。

2019年6月 ヤンゴンの孤児院にて