もう随分昔の話になるが、今は亡き叔父が「もう怒ることもなくなったなあ」と言っていたのがとても印象に残っている。
そして、今ぼくはその時の叔父の年齢に近づきつつある。
未だにイラっとすることもあるし、怒りがこみあげてくることもある。まだまだ、叔父の境地に至るまでには修練が必要だ。
瞑想的な見地からお話すると、怒りというのは最後の最後まで残る感情と言われている。それだけ、取り去るのが難しいということ。
完全に除去するのは困難であるが、少しでも減らすことは可能である。そのためには、気づきを保つことがカギとなる。
種火の段階で気づけば火を消すのはたやすい。しかし、家中に火が回ってしまってから火消しをしてもなかなか難しくなってしまう。しかも、火(怒り)によるダメージは大きい。
気づきがなければ、怒りは自分自身を焼き尽くすのである。
ただ重要なのは怒りはネガティブな側面だけではないということ。
怒りがあることで、我々は生きながらえているとも言えるのである。つまり、怒りがなければ危険を事前に察知することもなくなる。
このように、怒りにはポジティブな側面もある。むやみに忌み嫌う必要もないのだ。
「怒りのお陰でここまで生き長らえて来られた。しかし、怒りの度が過ぎるといろいろな問題が生じてしまうものだ」
この程度の感覚がちょうどよいだろう。
何事も中庸が大切である。