おはようございます!今朝も気持ちの良い秋晴れ。昨晩、ミャンマーの渡航準備をしていたのですが、カレールーが全てバックパックに入ることがわかりました。折り畳み式のキャリーカートを購入しようと思っていたのですが、その必要がなくなりました。
先日、オフィスに遊びに来た友人に「これからの10年間でやりたいことはなに?」と聞いたところ、返答に窮していました。
そこで、「退職したら何かやりたいことはあるの?」と質問を変えたら、これまた答えられませんでした(ちなみに、彼は40代後半のサラリーマン)。
ぼく自身、やりたいことがたくさんあって選択に迷うほどなので、彼のようにやりたいことがないというのはかなり異様に感じます。
ただ、このような人は意外と多いのかなとも思っています。
不思議だなあと感じながら、その原因を考えていたのですが、その一つが自分軸の欠如ではないかと思っています。
自分軸の基本になるのは「自分が喜びを感じること」です。
自分軸が明確であれば、次から次へとやりたいことが出てくるはずです。
それでは、なぜ自分軸が欠如しているのか。
それは、おそらく「感覚に鈍感だから」というのが理由です。
この場合ですと、「喜び」の感覚です(「楽しさ」でも同じ)。
「喜びの感覚が感じられない」と言うと「そんなことあるの?」と思うかもしれませんが、殆どの人は自分の感覚に対して無頓着な生活をしています。
例えば、「怒り」という感情。
怒りが生じる前には、必ず何らかの感覚が生じているのですが、多くの人はその感覚(例えば『痛み』という感覚)を飛び越えて怒りまで一気に飛んでいきます。
感覚をないがしろにしている習慣がついているので、感覚に対して鈍感になっています(怒りが生じる前には『悲嘆』という感情が生じていることが多いのですが、それについては改めて)。
感覚を軽視していると、いわゆる『感覚まひ』の状態になります。
だから、自分が何に対して喜びを感じるのかがわからないということになります。
逆に感覚に対して丁寧に気づいてあげるようにすると、自分軸が明確化してきます。
自分軸がしっかりしている人は、周囲の環境や他人の評価、ものごとの結果などに振り回されたり、うろたえたりすることはありません。
ちなみに、先ほどの友人が返答に窮した末の答えが「100歳まで生きること」でした。
「100歳まで生きてどうするの?」とは突っ込みませんでしたけどね(笑)。
11月8日(水)~11月12日(日)はお休みです。