こんにちは。スポーツ医学&カイロプラクティック研究所、院長の榊原です。
日々の診療の中で、患者様から「先生はどうしてカイロプラクティックの本場、アメリカまで行こうと思ったのですか?」というご質問をいただくことがあります。
今の私(医学博士・カイロプラクター)の臨床における「諦めない執念」の土台を作ったのは、実は東北大学時代の「がむしゃらな2年間」にあります。夢を叶えるためにすべてを投げ打って挑んだ、若き日のエピソードをお話しします。
「アメリカへ行くしかない」という直感
大学3年生の時、私はボディビルに明け暮れる傍ら、「実践的なスポーツ医学」を志していました。そんな中、偶然手にした雑誌で出会ったのが『カイロプラクティック』という世界です。
調べれば調べるほど、その奥深さに魅了されました。そして気づいたのです。ボディビルの聖地であり、カイロプラクティックの発祥の地でもあるのは、アメリカのロサンゼルスであると。
「もう、ここに行くしかない」
その瞬間、私の中で迷いは消えました。しかし、目の前には「莫大な留学費用」という現実的な壁が立ちはだかっていました。
効率を求めた「2人同時」家庭教師のアイデア
残された時間は大学卒業までの2年間。目標は「月収30万円」です。当時の学生アルバイトとしては並大抵の金額ではありません。まずは家庭教師を始めましたが、普通にやっていては間に合わないと考え、ある戦略を立てました。
それは、「2人同時に教える」というシステムです。自分で新聞広告を出し、「2人同時なら1人あたりの月謝を安くする」と打ち出しました。親御さんにとっては割安で、私にとっては時給が2倍。この「三方よし」のアイデアが当たり、隙間時間はすべて家庭教師で埋まりました。
朝3時の魚市場と4トントラック、そして筋トレ
それでも目標額には届きません。私は、早朝の時間をすべて仕事に充てることにしました。
- 深夜2時: 起床
- 3時〜7時: 魚市場でアルバイト。マイナス数十度の巨大冷蔵庫の中で、氷水に手を突っ込みながら魚を仕分けます。冬場は指の感覚がなくなるほどの過酷な環境でした。
- 8時〜12時: 4トントラックを運転し、給食センターやコンビニへ食材を配達。
- 午後: 大学へ直行し、卒業論文のための実験に没頭。
- 夕方: ボディビル部で限界まで筋肉を追い込む。
まさに分刻みのスケジュールです。普通なら音を上げてしまうような毎日でしたが、不思議と「嫌だ」と思うことは一度もありませんでした。
「執念」が今の治療を支えている
なぜ、そこまで頑張れたのか。それは、銀行の通帳に記帳するたび、憧れの地・カリフォルニアが少しずつ近づいてくるのを肌で感じていたからです。
「目標から逆算し、実現のために今できる最善を尽くす」
この2年間で培った執念とエネルギーは、その後のアメリカでの過酷な修行時代、そして帰国後の医学博士号取得という道のりを支える大きな糧となりました。
現在、私が患者様の痛みや不調に対して「絶対に諦めない」という姿勢で向き合えるのは、この若き日の経験があったからこそだと確信しています。
今の私を形作った「アメリカでの学び」については、また次回のブログでお話しさせていただきます。