第5回:渡米目前に勃発した「単位不足」の危機と、LA到着直後のサバイバルへの布石

当研究所の院長・榊原直樹DCによる、プロフェッショナルとしての「原点」を振り返るコラムです。
この記事は、徒手療法大学の学長コラム第5回を、榊原DC自身が研究所ブログの視点でリライトしたものです。元記事(学長コラム)はこちら

【前回の振り返り】
1991年、バブル絶頂期の就職戦線に目もくれず、親の反対を想定し、自力で2年間・600万円の渡米資金を執念のアルバイトで捻出。ネットなき時代に自力でビザと片道切符を取得し、ついに1992年の出発を迎えようとしていた。

【今回のエッセンス】
親に依存せず自立することを選んだ大学生活。過酷なアルバイトとトレーニングの疲労から、足元で大きなアメリカ留学のトラブルの火種が進行していた。必修科目「生命科学」の単位取りこぼし。迫り来る渡米の日を前に下された「不合格」と、前代未聞の「5月卒業」。そして、甘い見通しで予定より早くロサンゼルスへ飛び立ったことが、現地での波乱の幕開けとなる。

プロフェッショナルとしての「自己決定権」の確保:親の反対を想定した資金形成

大学卒業の2年前にアメリカ渡米を固く決意した瞬間から、私が最優先したのは留学資金を自力で貯めることでした。過酷なアルバイト生活に身を投じたのには、明確な理由があります。

それは、「両親に渡米を反対されることを、あらかじめ前提としていたから」です。

もし、留学資金を親に依存していれば、反対された瞬間に「渡米」という選択肢そのものが消滅してしまいます。しかし、資金を自分自身で用意できれば、たとえ親に反対されようとも自分の意思を貫き通すことができます。自分でコントロールできる要素は、徹底的に自分でコントロールする。これは、当研究所が臨床においても重視する、自ら考え行動する「地力」の鍛錬そのものでした。

「地力」の錬成と「生命科学」での蹉跌

早朝の魚市場、トラック配送、卒業論文の研究、そしてボディビル部でのハードなトレーニング。文字通り寝る間も惜しんで2年間を走り抜けましたが、実のところ、学生としての本分を完璧にこなせていたわけではありませんでした。

私は3年生の時に取りこぼした必修科目の単位があり、再履修の身でした。講義に出席する時点で、すでに「二仕事」を終えた後。疲労困憊の極みで、アパートに帰って泥のように眠りたい衝動を抑え、そのまま大学へ直行していました。授業が始まるとほぼ同じタイミングで、机で熟睡してしまうのは、必然でした。

中でも「生命科学」の授業は、地獄でした。教授の話はチンプンカンプンで、再履修の講義にもかかわらず合格点が取れません。この教授は非常にシビアで、試験の点数が1点でも足りなければ容赦なく再履修にすることで有名でした。

案の定、渡米を目前に控えた1月末の期末試験で「不合格」を叩き出し、私の足元は崩れ去りました。

教授室での孤独なサバイバルテスト:前代未聞の「5月卒業」

不合格の直後、私は教授室へ呼び出されました。4年生で、この単位を落とせば卒業できないことを知った教授は、きっぱりとこう言い放ちました。

「特別にもう一度だけテストをやります。それで合格点を取れなければ、卒業はできません」

内心少し焦りましたが、過去に一度「退学騒ぎ」を起こしていた度胸だけは座っていました。「最悪卒業できなくても、自分は学歴に関係のない世界で生きていくから関係ない」と、粋がっていたのです。今思えば、これも「自己決定」の一形態でした。

同級生たちが卒業を控える3月末、私は教授室で一人、生命科学の再試験に挑んでいました。結果が出たのは4月に入ってから。同級生たちが笑顔で集う卒業式には出席していません。

結果は……「合格」でした。
こうして私は、晴れて大学卒業の資格を得たのです。ただし、3月卒業ではなく、異例の「5月卒業」という形で(笑)。当時は気づきませんでしたが、大卒と中退では気分的にも社会的にも雲泥の差があります。後になってその事実をしみじみと噛み締めることになります。

危機的状況下での「プレッシャー」と「遂行能力」は、プロの臨床家に求められる資質でもあります。この孤独な試験こそが、その最初のテストでした。

いざ、サバイバルテストの地・ロサンゼルスへ

大卒の肩書きを手に、運命の**1992年5月25日(月)**。成田発ロサンゼルス行きのアメリカン航空に搭乗しました。

手配してあったドミトリー(学生寮)の入居日は6月1日から。しかし、当時の私は、「1週間くらい早く着いても、直接交渉すればなんとかなるだろう」と、深く考えずに1週間前倒しでアメリカに飛ぶ決断をしていました。

この「甘い気持ち」が、未知の国・アメリカに降り立った直後の私を、とんでもないトラブルへと巻き込んでいくことになるのです。サバイバルは、ここからが本番でした。

(次回へ続く)


この記事を書いた人:榊原 直樹 DC, PhD
スポーツ医学&カイロプラクティック研究所 院長 / 徒手療法大学 学長 / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は研究所での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
※この記事は、榊原 DC の個人的な歴史を振り返るコラムです。元記事(徒手療法大学 学長コラム第5回)はこちら

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