第8話 アメリカ留学での肉体の限界と、聖地「ゴールドジム」との遭遇

こんにちは。スポーツ医学&カイロプラクティック研究所の榊原直樹です。

現在、私が学長を務める「徒手療法大学」の公式サイトにて、カイロプラクターを志して渡米した当時の連載コラムを執筆しています。今回はその連載の中から、「極度の疲労と筋肉痛」そして「本場のトレーニング環境との出会い」という、身体とスポーツ医学に関わる印象深いエピソードを、当研究所のブログ向けに再編集してお届けします。

※本編のオリジナルストーリー(【学長コラム】私の原点 第8回)は、以下の徒手療法大学公式サイトよりご覧いただけます。
▶︎ カイロプラクティックを学ぶアメリカ留学。ロサンゼルスの朝日と憧れのゴールドジム

極度の緊張がもたらした「予期せぬ筋肉痛」

アメリカ・ロサンゼルスに到着した初日、私は予期せぬ祝日の影響で学生寮に入れず、重いずた袋を担いだまま夜の街を彷徨うという過酷なトラブルに見舞われました。(奇跡的に現地の方に助けられ、モーテルで夜を明かすことができたのですが、その詳細は元のコラムをご覧ください。)

翌朝、泥のような睡眠から目覚めた私を襲ったのは、全身が悲鳴を上げるような激しい筋肉痛でした。私は大学入学と同時にボディビルを始め、長年ハードな筋力トレーニングを積んできたため、体力には絶対の自信を持っていました。

しかし、見知らぬ異国の夜道を「野宿になるかもしれない」という極度の精神的ストレスを抱えながら、アンバランスな重い荷物を担いで歩き続けた代償は想像以上でした。コントロールが効かないほどの身体の重さは、普段の計画的なトレーニングによる疲労とは全く異なり、「心身の極限状態」がいかに筋肉や神経に過剰な負荷をかけるのかを身をもって知る経験となりました。

24時間ぶりの栄養補給と、生活基盤の確保

ふと気づけば、機内食を食べて以来24時間以上何も胃に入れていませんでした。緊張が解けたことで一気に空腹感が押し寄せ、慌ててモーテル近くのガソリンスタンドへ向かいました。

併設された小さな商店で食パン、ハム、チーズを購入し、部屋で作った即席のサンドイッチ。栄養学的に見ればただの簡易的な食事ですが、枯渇しきった身体にエネルギーが染み渡っていくあの感覚は、今でも鮮明に記憶に残っています。

その後、無事に本来の目的地であるドミトリー(学生寮)の事務手続きを済ませ、20畳ほどの2人部屋へと入居。ようやくアメリカでの生活基盤が整い、深い安堵の息を漏らしました。

日本のボディビルダーの夢。本場の「ゴールドジム」を発見

荷物を整理し、周辺の環境を把握するために外へ出た私の目に、信じられない光景が飛び込んできました。

視線の先には、黄色と黒の「GOLD’S GYM」の看板があったのです。

1990年代当時の日本には、まともなトレーニングジム自体がほとんど存在しませんでした。ましてや、ボディビル雑誌でしか見ることのできない「本場アメリカのゴールドジム」でトレーニングをすることは、日本のボディビルダーたちにとって究極の憧れであり、夢でした。

まさか、これから生活する寮の徒歩圏内にその聖地があるとは思いもしませんでした。全身の筋肉痛も初日のトラウマも一瞬で忘れ去り、私は吸い寄せられるようにジムへ駆け込みました。

最新鋭のトレーニングマシンがずらりと並ぶ光景を目の当たりにし、興奮は最高潮に。私は見学もそこそこに、その場で入会を即決しました。

新たな波乱の幕開け

「すぐにでもこの環境でトレーニングを開始したい!」
はやる気持ちを抑えきれず、トレーニングウェアを取りにドミトリーの自室へ戻ると、そこには私と同室になる20代のアジア人青年の姿がありました。

これからの共同生活に向け、最高の笑顔で英語で挨拶を投げかけた私でしたが、彼からはまともな返答がありません。驚くべきことに、彼は簡単な英語でのコミュニケーションすら成立しない状態だったのです。

本場のカイロプラクティックを学ぶ環境、そして最高のトレーニング環境を手に入れた歓喜の裏で、この言葉の通じないルームメイトと後に大きなトラブルを起こすことになるとは、この時の私には知る由もありませんでした。

【オリジナル記事はこちら】
今回のエピソードのさらに詳しい情景描写や留学のストーリー展開は、徒手療法大学のブログでお読みいただけます。ぜひ以下のリンクからチェックしてみてください。

▶︎ 【学長コラム】私の原点(8)〜カイロプラクティックを学ぶアメリカ留学。ロサンゼルスの朝日と憧れのゴールドジム〜

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