例えば、大人数でワイワイやった翌日というのは、心がざわざわしていることが多いです。何となく心が落ち着いていない感じがします。しかし、これもしばらくすると鎮まっていきます。
大人数でワイワイやるというのは、普段一人静かにしていることが多いぼくにとっては、大きな刺激です。
静かな池に石を投げむと波が広がっていきますが、似たようなことが心に起こっているのでしょう。ほっとけば、その波もいずれ小さくなりなくなります。
本能的なのかは知りませんが、我々の脳みそは常に刺激を求めているようです(脳みそを心と置き換えた方が良いかな)。刺激=エサみたいな感じです。つまり、刺激がなくなると心も死んでしまう・・・
タイやミャンマーの修行僧が行っているのは、心のわずかなさざ波もキャッチして、それに気づきを入れ、鎮めていく作業です。刺激が入るたびにさざ波は立ちますから、その都度気づきを入れていかなければなりません。だから、山奥の刺激が少ない環境で修行します。かのブッダの右腕だったサーリプッタも「物理的隠遁は精神的隠遁につながる」みたいな言葉を残しています。
先日、友人からこんな本をいただきました。
海馬―脳は疲れない (新潮文庫)
「子供の猿を親から離して、刺激を全然与えず、暗い小屋とかで人間からの刺激もないように、エサも遠くからチューブで与えるとか、そうやって育てると・・・・」
こういう陰湿な実験の結果・・・(笑)
「トローンとした顔で欲がなくなってしまう。外に行くことを欲することすらなくなるのです」
という衝撃的な一節がありました。
(しかも、この子ザルは早死にしてしまう・・・)
つまり、刺激というのは、我々が生きていく上で必要なものでもあるということなのでしょう。
ここで、気づいたことがあります。それは、刺激を毛嫌いしていたこと。より静かな環境を求めて試行錯誤していたのです。
これじゃあ、ただの引きこもりじゃねえか(笑)。
これからはある程度の刺激と共存共栄していきたいと思います(笑)。
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