感情が排除された状態

物事を客観的にとらえることはとても難しい。

しかし、客観視はいろいろな場面で必要とされている。

客観視できなれば、いろいろな問題が起こるからだ。

この世で起こる様々な問題(個人間の小競り合いから国家間の戦争まで)は、状況を客観視できないことが原因の1つである。

 

客観的の反意語は主観的だが、これは感情的とイコールだ。

つまり、われわれは主観的な思考に偏っている時、感情的になっていると同じこと。

言い換えれば、感情的な状態の時、客観的にはなれないということだ。

ということは、完璧な客観的な視点には感情は全て排除されている必要がある。

果たしてそんなことが可能なのだろうか。

 

何かを判断する際、多かれ少なかれ思惑が入り込んでしまう。

ただ、自分が客観的な判断をしていないということには気づいている。

すると、極力感情を入り込ませないようにすることが可能になる。

つまり、大切なのは気づくことであって、最初から感情を排除しようと意図することではないと思う。

実は感情を排除しようという意図を働かせると、感情は排除されないというジレンマに陥る(いや、心はむしろより感情的な反応をする)。

なぜなら、感情が排除された状態というのは、あくまでも気づきの結果として自然に起こることだからである。

 

カイロプラクティックというのは、そのための訓練にはもってこいだと思っている。

指先の感覚に全神経を集中させるだけで、感情の入り込む余地がなくなるからだ。

集中状態が完璧となれば、感情ゼロ、つまり完璧な客観的状態を作り上げることができる。

これは、ぼくが日々感じていること。

ただし、完璧な集中状態というのは、長時間維持するのが難しい。

それでも、集中状態が途切れたことに気づいてさえいればOKだと思っている。

なぜなら、気づいたら再び感覚に没入することができるからである。

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