おはようございます!本日は台風前ですが、いつもと変わらない予約状況です。ありがたいことです。来院予定の方はお気をつけてお越しください。
さて、先ほど朝一の患者さんが来られました。思いついたようにたまに来られる方です。今朝も7時過ぎに「今から行きます!」と連絡があり来られました。
最初にお聞きする質問は「今日の体調はいかが?」ですが、「特に問題ありません」とのお答え。最近、そういう方が増えました(笑)。わざわざ、こんな雨の中、会いに来てくれる・・・本当にありがたいことです。
この方が開口一番「この前、いつもなら怒る場面で怒りをコントロールすることができました」との嬉しいご報告。
あるトラブルメーカーの職員に対して冷静に対応することができたということでした。ちなみにこの方は会社経営者。
『怒り』というのはなかなか厄介な感情です。しかし、必ずしも100%厄介者というわけではなく、怒りという感情があるお陰で私たちの命は生き長らえています。怒りが厄介者になるのは、こいつが暴走した時だけです。
ですから、暴走しないように常に監視しておかなければなりません。野放しはだめです。
この患者さんは怒りのコントロールができた。つまり、怒りという猛獣を監視して暴走するのを食い止めることができたということです。これ、なかなかできることではありません。
そもそも、怒りというのはどのようなメカニズムで生じるのでしょうか。
まず、情報の入力があります。これは、五感を介して行われます。つまり、視覚や聴覚などから感覚の入力があります。
次にこの感覚に対して三通りの感情が生じます。それらは「快」「不快」「どちらでもない」の三つです。そして、最後に来るのが判断です。つまり、感覚⇒感情⇒判断という流れ。
「怒る」というのは最終判断に伴うアクションですね。要はこれらのプロセスの中のどの部分で止めるかという問題です。
感覚から感情に移行する段階で止めるのか、それとも感情から判断に移行する段階で止めるのかということです。
この患者さんの場合、怒りは出たけどアクションにまで至らなかったということなので、判断の手前で止めることができたということなのでしょう。
これらは全て自らの意志で行うことです。言い換えれば、意図せずに行うことはできないこと。さらに別の表現を使えば、自分の意志で選択していくことです。
ぼくは、これができるかできないかが、人間と動物の分かれ目だと思っています。動物にはこのようなスキルはありませんし、訓練しても習得するだけの知能は持ち合わせていないからです。
ぼくも「早く人間になりたい!」
・・・わかる人にはわかるフレーズです(笑)。
10月22日(日)はお休みです。
10月26日(木)は午前中のみの診療となります。