おはようございます!今朝は東別院前を通ってきたのですが、最近の雨風にも負けず桜の花がほぼ満開で残っていました。もう少し楽しめるのかな。
自分の心の状態を客観視できている時というのは、ネガティブもポジティブもなく、ただただ現実世界が横たわっているだけになります。そこには感情の入る余地はなく、善悪の判断もありません。
例えば、心の中に「怒り」が生じた時、その怒りに気づき、完璧に客観視できれば、瞬時に怒りという感情は消失します。
しかし、そうは問屋が卸さない(笑)。怒りが湧き上がったとして、それを客観視しようと努力してもなかなか怒りは消えていきません。「怒りを消そう」と頑張れば尚更難しくなります。(怒りが消失するのは、あくまでも客観視できたことによって生じる結果に過ぎないからね)。
従って、客観視というのは、かなりの訓練を要します。もう、こんなことを試行錯誤して17年になりますが、少なくとも僕にとっては、まだまだ修得しきれていないスキルです。
先日、面白い現象が起こりました。
数人で話していた時、ある人物についての話題となりました。その人に対するネガティブな話です(こういうのって、心が刺激されるから盛り上がることが多い(笑))。
ぼくは黙って聞いていただけなのですが、その人物に対しては同様にネガティブな印象を持っていました。
しかし、隣の人が、その人のネガティビティに対して核心を突くような話をし始めた時、一気に興ざめしてしまいました。
隣の人に対して興ざめしたのではなく、その人物に対するネガティブな印象が一気に消失したということです。
事実としてその人は存在するけれども、どうでもよい感覚。しかし、無関心ということではなく、どちらかと言えば「受容」のような感じでした。
その後、「なんでこのようなことが起こったのだろう」と考えていたのですが、おそらく客観視できたからではないかと思っています。
他人のことは比較的客観視しやすい。自分と似たような考えを持った他者、つまり自己の投影としての他者を観察することで、自分自身を間接的に客観視できたのではないかと思いました。
これが、自分自身に対してできれば、完璧なんですけどね。なかなか一筋縄ではいきません(笑)。
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