先ほどホテルに戻りました。シャワーを浴びて一息ついているところです。
今日は朝9時から午後7時までの長丁場だったので、さすがに疲れました。
バガンの強烈な暑さも体力を消耗させます。
最後のサンセット見学ですが、残念ながら見られませんでした。
昼間はガンガンに日が照っていたのですが、夕方から曇りになってしまいました。
夕日を拝みたければ、もう一度バガンに戻ってこいということなのでしょう。
従って、サンセットは次回にお預けということです。
今日一日でたくさんの寺院を見て回りました。
寺院に到着し車から降りると、必ずお土産ものの押し売り合戦が始まります。
絵葉書や竹で作ったお椀、ブッダの像(または絵)のどれかです。
彼らのやり方は、こちらから頼んだわけではないのですが、勝手に付いてきてツアーガイドのようなことをします。
そして、最後に売りつけてくるわけです。
どこの寺院でも例外なく同じパターンでした。
ある寺院を見学するために車から降りると、小奇麗な若い女性が近づいてきました。いつものパターンとは違う感じです。
とても流暢な英語です。聞くと、大学で英語を専攻したとのことでした。
英語を使う仕事を探している最中だとも言ってました。
従って、『外人を見つけてはこうやって英語の練習も兼ねてしゃべりかけてくるのだろう』と思ったわけです。
ところが、最後にどんでん返しがありました。
「自分のお店の商品を買ってください」とここからいつものパターンになります。
彼女のお店に行ってみると(お店と行っても出店みたいな質素なもの)、竹細工のお椀が置いてありました。
このことに関しては別段驚きはしませんでした。
しかし、ぼくが衝撃を受けたのは、大学で英語を専攻して(彼女の話す英語は完璧でした)も、彼女の望むような仕事に就けていないことでした(ちなみに、ミャンマーの大学進学率は3%程度)。
大学に通っていたころ、きっと彼女は自分の将来についていろいろ夢を見ていたに違いありません。
彼女は言います。「今はローシーズンでほとんど客がいない。だから、これを買ってくれたらすごく助かります」と1個200円のお椀を差し出してきます。
この国では、彼女の才能を生かすチャンスさえないのだろうか?
それとも、彼女自身の問題なのか?
もし、前者であるならば、何という悲劇なのだろう。
モヤモヤした気持ちを抱えてその寺院を後にしました。