アクション(言動)の前には、必ず何らかの意図が働く。
例えば、水を飲むというアクションの前には「水が飲みたい」という意図があり、それが原動力になって水を飲むというアクションに至る。
無意識にやっていることでも同様である。
例えば呼吸。普段我々は無意識に呼吸をしているが、それでも必ず意図が働いている。
ただ、それが意識に上がってこないだけである。
先ほど例に挙げた「水が飲みたい」というのは、のどの渇きをいやしたいという欲求(願望)であるが、これをもう少し深掘りしてみると別の意図が現れてくる。
どんどん深掘りしていくと出てくるのが怒り、そしてさらにその奥には悲しみが潜んでいる。
必要なもの、欲しいものが手に入らないことに対する怒りである。
しかし、怒りは生命(肉体)維持のためには必要な感情でもあるので、決してネガティブなものではない。
あらゆる生き物が持っている根源的な感情である。
ただ、怒りが暴走すると社会的問題を起こしてしまうことがあるので、取り扱いには注意する必要がある。
何を言いたいかというと、言動の意図を突き詰めると「怒り」とか「悲しみ」に行きつくということ。
そして、それがあることに気づいたら、認めるところからが始まりである(ただ、気づいた瞬間に認めていると思う)。
そのステップを踏んだら、心はかなり自由になっているだろう。