怒り

「怒り」を飼い慣らせ!

おはようございます!名古屋は連日の酷暑。朝からエアコン全開だ!

 

 

 

ぼく自身、まだまだ未熟者であり、大変おこがましいのだが、少し『怒り』について書いてみたいと思う。ただし、未熟者であるが故の偏見も多分に含まれていることを最初にお断りしておく(もちろん、少しでも客観的な表現を心がけるつもり)。

 

 

そもそも、怒りというのは誰もが持ち合わせているものだ。だから、「私は怒ったことないよ」という人がいたとしても、その人にも怒りの心は存在する。

 

もし、「私には怒りなどという感情はありません」などとのたまう人がいたとしたら、完全に悟った人間か、もしくは大ウソつきかのどちらかである(大概、後者だ(笑))。

 

 

また、怒りは「生きるためのエネルギー」でもある。つまり、心から怒りが完全消滅したら、その人は生きていないということだ(『生きていないということ』というのは、肉体的に死ぬということではないのだが、話がややこしくなるのでここでは割愛させていただく)。

 

つまり、怒りの反応というのは、脊髄反射のようなもので、ほぼオートマチックに起こる。だから、取り扱いが難しいのだ。

 

それでは、怒りをどのように取り扱ったらよいかということだが、ポイントは流れを変えることだ。

 

既述したように、怒りはオートマチックに生じてしまう。ここまでは仕方ない。しかし、怒りを飼い慣らしている人というのは、この後に続く連鎖反応を止める術を知っている。

 

連鎖反応を止める術というのは、自己観察のことである。怒りが生じた時というのは、誰でも気分が良くないものだが、その理由を分析してみるのだ。

 

「この嫌な気分の原因は一体何なのだ?」とじっくり考察してみる。すると、そこには必ず、『欲』があることに気づくことだろう。つまり、怒りと欲というのは、大概セットとなっている。

 

こんな感じで分析を繰り返していると、次第に深いところまで見えてくるようになる。もちろん、その時、連鎖反応は完全に止まっているはずだ。

 

何だか偉そうなことを書いているが、自分も未だに訓練中である(笑)。ちなみに、瞑想ではこの訓練をひたすらやっているだけだ(もっと知りたい人は9月の瞑想会にどうぞ)。

 

 

ところで、怒りにはベクトルが二つある。外側と内側だ。怒りが外側へ向かったとき、怒りの対象を罵倒したり、殴ったり、究極的には殺してしまったりする。

 

一方、内側へ向かうと、怒りの対象は自分自身となる。自分へ向かった怒りは、自己嫌悪や自己否定という感情を引き起こす。そして、この連鎖が止まらなくなると、精神が病んでいき、最終的には自殺に至る。

 

つまり、人殺しも自殺も根源は同じ「怒り」であり、ベクトルが異なるだけ。本質的には同じことだ。

 

 

2016年9月1日(木)関節運動学的セミナー@札幌(肘関節)

2016年9月25日(日)関節運動学的セミナー@大阪 (脊柱)

2016年9月18日(日)マインドフルネス瞑想会@名古屋

【8月のお休み】 なし

【9月のお休み】 9月1日(木)、7日(水)、8日(木)、25日(日)


スポーツ医学&カイロプラクティック研究所
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