喜捨

おはようございます!それにしても湿気がすごいですね。ヤンゴンはもっとすごいけど。台風一過で梅雨明けするのかな。

 

 

今朝は喜捨について。

 

在米時代、毎週日曜日は教会へ行っていました。ぼくはクリスチャンではありませんが、英語に触れる機会を増やしたかったこと、またアメリカ人を理解するためには聖書を理解するのは必須であると考えていたからでした。

 

(ただ、最大の目的はミサ終了後のお昼ご飯でしたが(笑))

 

牧師さんの話が終わる頃、前側から袋が回ってきます。寄付袋です。もちろん金額は決まっていません。殆どの人は幾ばくかのお金を寄付していました。しかし、ぼくは一度も寄付することはありませんでした。その理由は、もちろん経済的な面もありましたが、むしろ心理的抵抗感の方が強かったからです。

 

インドに3か月ほどいた時の話です。瞑想センターに滞在していたのですが、ここは基本的にすべて無料です。個室、一日二回の食事が無料で提供されます(もちろん、毎日12時間の瞑想はしなければならない)。運営費は全て寄付によります。その殆どがここで瞑想した人たちの喜捨によるもの。しかし、ぼくはここでも一度も寄付をすることはありませんでした。

 

今振り返ると、執著がいかに強かったかがわかります。しかし、この時、その執著に逆らって寄付していたら、心理的に大きな負荷を感じていたことでしょう。

 

捨てること、しかも喜んで捨てることができない限り、寄付(ボランティア)はしない方がよいと今でも思っています。

 

そして、喜捨するときはまったく何も期待していない。相手から感謝されても、されなくても心境の変化はありません(受け取る側にとってより良い状況を試行錯誤はするけどね)。なぜなら寄付するという行為で、全てが完結しているからです。

 

ミャンマーやタイに行くと、喜捨の文化が依然として残されている。その国の人たちは子供の頃から他人と分け合い、助け合いながら生きている。しかし、日本にはそのような文化はとっくの昔に廃れてしまった。

 

だから、日本人にとって寄付とかボランティアというのは、なかなか抵抗感のあることだと思う。これは致し方ない。

 

しかし、遅かれ早かれ(少なくとも死ぬまでには)、『捨てられる心』を養っていく必要があるのではないだろうか。

 

最後に我々は身体を捨てなければならないのだから。

 

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