奇跡のリンゴ

以下は木村秋則氏の「奇跡のリンゴ (幻冬舎文庫)」からの引用です。この本に書かれてある彼の言葉からは、学ぶべきことが非常に多いです。

木村氏は世界で初めて無農薬リンゴ栽培に成功した人物です。リンゴを無農薬で栽培するというのは、絶対に不可能と言われていた時代に、木村氏は9年の歳月をかけて実現させました。

無農薬リンゴ栽培の話ですが、彼が到達した境地には、我々が学ぶべきことがたくさんあります。

また、瞑想にも通じる境地であり、その点でも大変興味深く読むことができました。

この本は随分前に買って、そのまま放置してあったのですが、読み始めて一気に引き込まれました。久しぶりに読んだ良書です。

 

 

「収穫するたびに歯っ欠けのトウモロコシを置いてくるようにした。それからタヌキの被害が殆どなくなった。だから、人間がよ、全部を持って行くから被害を受けるんではないのかとな。そんなことを考えました」

 

作物を育てるという行為は人為的に行われるものであり、自然とは全く異なります。そして、自然をコントロール(闘う)しようとすればするほど、そこには摩擦が生じます。これは真理です。真理に逆らえば、必ずそのしっぺ返しが起こります。闘うことは負の連鎖しか生み出しません。そうではなく、調和することが唯一の解決策ではないでしょうか。自然との折り合いポイントを探りながら、摩擦を最小限に抑えて共存していくことが大切です。

 

 

「稲を引き抜いたら、根っこがびっしりと生えていた。根の数も、根の張り具合も、普通に耕した田の稲とは比べ物にならないほど立派だった。地下の根が十分に生長した後は、普通以上に地上部の葉や稲が生長するというわけだ」

 

これは木村氏が稲の無農薬栽培を開始した当初の言葉です。通常は田植え前にしっかりと土を耕して柔らかくしますが、木村氏はそれをほぼやらずにゴロゴロの土の塊がある状態で稲を植えて見たそうです。その結果が上記の言葉です。

 

まさに逆転の発想です。ゴロゴロの土の方がより自然に近い状態なのは確かです。その分、稲は根を張るために頑張らなければなりません。これは、柔らかいものばかり食べていたら顎の筋肉が発達しないのと似ているかもしれません。固い土の下に張られた根は強く立派に育っていたというのも、そういうことなのでしょう。

 

土台がしっかりしていなければ、その上側に育つ稲穂もしっかりしたものとはなり得ませんね。結果(収穫)に余りにも集中し過ぎると、このような本末転倒状態が起こります。何事も同じですね。

 

 

「バカになればいい」

 

知識や経験は非常に有用なものです。しかし、何か新たな試みに挑む時、しばしばそれらは邪魔になります。知識や経験がいつの間にか、常識となってしまい、それにがんじがらめに縛られてしまうのです。

 

従って、前進するためには、今まで築き上げてきた知識や経験を捨てていく必要があります。木村氏はそのことを「バカになればいい」と表現したのだと思います。

 

この一節を読んだ時、タイの高層、アーチャン・チャーのことを思い出しました。なぜなら、彼も似たようなことを言っているからです。

 

「知識をたくさん持っている人間は、大きな家を持っているのと同じだ。掃除が大変だ」

 

一つのことを徹底的にやり込んでいくと、こういうことへの理解が深まっていきます。家が大きいほど身動きが取れなくなります。そうではなく、家を少しずつ壊して小さくしていくことが、自由度を広げていく方法です。

 

「自然の中に、孤立して生きている命はない。すべての命が、他の命と関わり合い、支えあって生きている。そんなことわかっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。」

 

「自分は農薬のかわりに、虫や病気を殺してくれる物質を探していただけのことなのだ。堆肥を施し、雑草を刈って、リンゴの木を周囲の自然から切り離して栽培しようとしていた。リンゴの木の命とは何かということを考えなかった。農薬を使わなくても、農薬を使っていたのと同じことだ。」

 

これも、戦闘ではなく調和が大切であることを示唆しています。農薬によってリンゴを虫や病気から守ることは、戦闘であり調和の真逆の行為です。闘っている間は、闘い続ける以外に選択肢は残されていません。まさに終わりのない闘いなのです。

 

「ドングリは雑草の中で、あれだけの根を張っていた。坊主頭みたいに雑草を丁寧に刈り込んだ私の畑のリンゴの根っこはこの有様だ。雑草は敵だってずっと思い込んでいた。雑草を刈るのはリンゴのためだってな。」

 

敵だと思い込んでいた相手(雑草)が、実は敵ではなかった。雑草を放置してしまうと、栄養分が取られてリンゴの木の取り分が少なくなってしまうのではないかと思ってしまいますが、雑草はリンゴの木が根を張るための土を理想的な環境に整えてくれていたのです。

 

全ての物事は多面性を持っています。視点を変えるだけで評価が真逆になることもしばしば。他人を見る目も同様です。極悪人という人は滅多にいません。同様に完全な善人という人にも会ったことがありません。

 

 

「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そしていつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使うことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。」

「自然の中には、害虫も益虫もいない。人間が害虫と呼ぶ虫がいるから、益虫も生きられる。喰うものと喰われるものがいるから自然のバランスは保たれている。そこに善悪はない。」

 

人間は常に自然との闘いの中で文明を発達させてきました。そして、それは今も続いています。自然をコントロールしようと未だにしています。それによって、人間にとっては便利な世の中、物質的に豊かな世の中になっていますが、いろいろなところで深刻な歪も生じています。

 

大気汚染、温暖化、砂漠化、などなど。そして、福島原発事故も、我々人間が自然から食らっているしっぺ返しの一つです。もう、そろそろ気づいても良いと思うんだけどね。

 

人間は自然の一部であるということを再認識して、それと調和していく生き方を選択していかなければ、今後ますます摩擦が強まっていくことでしょう。自然と調和を保って共存していくことが、唯一の選択肢だと思います。

 

 

「農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽するからいけないんだと思う。クルマにばっかり乗っていると、足腰が弱くなるでしょう。同じことが起きるわけ。それでな、リンゴの木だけじゃなくて、農薬を使っている人間まで病気や虫に弱くなるんだよ。」

「ただ酢を撒いていても駄目なのな。そういうことがわからなかった。私は病気だけを見て、その病気だけを何とかしようとしていたんだな。」

「肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く値を張り巡らせなくてもいいということになる。運動もろくにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだ」

「現代の子供たちに、免疫系の疾患が増えていることは周知のことだが、肥料を与え過ぎたリンゴの木にも似たことが起きるのではないか。その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには、害虫や病気にかつことができなくなるのではないか」

「この畑にはぎりぎりの栄養しかないから、リンゴの木が元々持っていた、自然の力が引き出されたんだと思うのな。知れば知るほどよ、自然というものはなんとすごいものだと思う」

 

このくだりを読んで想起したことがいくつかあります。一つ目は「腹八分」。ぼくは現在、1日1.5食から2食しか食べていません。以前は6食とか8食食べていたことを思えば、かなり小食です(ボディビルでは、不足するよりも過剰に栄養を摂ることの方が良しとされているので、とにかく食べていたのです)。

しかし、体調不良を感じたことはありません。むしろ、肉体的には昔よりも楽に感じています。さらに、いつも少しだけ空腹な方が、日中のパフォーマンスも上がるような気がしています。

二つ目は「予防接種」や「抗生剤」のこと。インフルエンザの季節前には、予防接種が推奨されます。予防接種はリンゴの木に撒く農薬と同じことです。ちなみに、ぼくは今まで予防接種を打ったことがありませんが、インフルエンザにかかったことは一度もありません。

抗生剤は身体の中のあらゆる菌を殺します。身体の中の生態系を一網打尽にしているのです。健康にとってどれだけ害悪かがわかると思います(もちろん、抗生剤が必要な人もいます)。

木村氏は害虫も益虫も人間が勝手に決めたことだと言っています。確かにそうです。そのような区分けは人間のエゴによるものであって、自然にとっては両方とも必要な虫たちです。

 

初めて無農薬でリンゴ栽培に成功した後、それが世間に見向きもされなかった時、木村氏はこんなことを言っています。

 

 

 

「世の中に受け入れられるかどうかは問題ではない。それは、世の中が決めることだ。自分はこの道を行けばいい。あとは野となれ山となれだ」

 

周囲に影響されない人間こそが、周囲に影響を及ぼすことができる人間だと思っています。世の中に迎合する生き方ほど窮屈で退屈なものはありません。

木村氏は自分の進むべき方向に確信を持っていたのだと思います。自然の法則(真理)を理解していれば、そこに迷いも不安もなく突き進むことができます。

 

 

注)

この本を読み終えた後、当然のように木村氏の育てたリンゴに興味を持ち、ネットで検索したところ、非常に多くの「アンチ」記事がアップされており、興ざめしてしまいました。木村氏に興ざめしたのではなく、そのような、妬み・ひがみとしか思えないような記事を書いている輩に興ざめしてしまいました(読めばわかりますが、重箱の隅をつつくような記事です)。ご注意ください。

 

 

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奇跡のリンゴ” への2件のフィードバック

  1. Dr.S先生 こんにちは
    今日は普通のパニック状態です。(?)
    なので、昼休みの残り15分(の内の前半10分)位はリラックスしています。
    この話、ものすごく興味が有る内容が満載です。(もちろん、知っている話です。)
    いま、落ち着いて読める時間が無いため、買って読んだりはしてなかったので、
    今日のブログは大変参考になりました。 有難うございました。
    雑草を抜かないという方針は、大分前から採用しているのですが、
    「借地にて、草ぼうぼうだとクレームがつきそう」とか、「作物の種類によっては、収穫作業が非常に大変になる」、
    等々の理由が有って、背が高くなる作物(ゴーヤーとか)以外については、中途半端ですね。
    農薬を使う代わりに「酢」や「木酢液」などの天然成分を使うとか、
    薬が無いと言われてきたウィルス性の病気の株を 処分せず 肥料として売られている物で直すとか、
    正に 書かれている様に、結局 自然のままの状態に対して 介在してしまっています。
    もう一段 進歩する為の参考として、ぜひ この本を読んでみたいですね。 (澄んだ心で読める精神状態が来たら・・・)
    ・・・ ネット検索って、(癌とかで検索した時にも感じましたが)結局 自分が求める内容の逆の物が多い気がしますね。
    大体、そういうところに書き込むような人って、他人のアラ探しをして それを書いている自分を見て欲しい、
    みたいな輩が多い様な気がします。
    もっと単純に、(途中は大変だったかも知れんが)最終的に上手く行った人は叩かれる、って事かな。
    ネットって、便利だけど 面倒くさいですね。 (この辺りが、私がブログを立ち上げない理由の一つでもあります。)

    • こんにちは!

      おそらく、Sr.さんは木村氏のことはご存じであろうと思ってました。
      植物を育てたことがない自分でも、大変惹かれる内容でした。
      木村氏は他にも数冊本を書かれているようなので、暇を見てそちらも読んでみたいと思ってます。

      ところで、ぜひブログを立ち上げてください(笑)。

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